梅雨の終わりはいつだと思われますか?
はい、僕が主催者の越野です。
6月に入り梅雨が訪れ、一度訪れた夏はすっかり影を潜めてしまった今日この頃。
けれど時間の流れはめっきり早くなっていく一方で気付いたら6月も終わり、そうナツドキまであと2週間を切ってしまいました。
最近の僕はというと「梅雨明け 2019」でひたすらググっては自分を安心させてくれる文章を探しています。
ちなみにまだ見つかっていません。
あぁ梅雨よ明けてくれや....
と、そんな事はさておき。
先日ナツドキと同日にも開催されている下北沢音楽祭の会合に参加してきました。
下北沢に棲む大御所達がずらりと集まり(20人以上いたと思われる)、お祭りを作るためにあぁでもないこうでもないと議論している場所で、僕は、うぉー、なんかすごい人がいっぱいいるなぁ、、、とか思いながら、あわあわしていたわけです。
そこでは本当に色々な議論がされていたのですが、どの議論も論点は「下北沢の人たちが幸せであるかどうか」ということでした。
なるほどなぁ、地元のお祭りは地元の人で創り上げるものだから、地元の人が幸せになることが大前提だよなぁ〜と思いながら、じゃあナツドキはどうだろう?と思ったわけです。
ナツドキには「地元」がありません。
帰る場所も行く場所もないし、寄り添える場所も人もナツドキにはありません。
なんならまだ産まれてもないのかもしれない。
地元のお祭りには「お祝い」だったり「お祈り(田畑がしっかり育ちますようにみたいなね)」だったり、基本的にその集落を繁栄させるために、その集落の人たちが、その集落の人たち(リンカーンの演説風)で催していたもの。
それが隣の芝生が青く見えて気になりだしたもんだから他の集落のお祭りも見だして、こっちも面白そうじゃんみたいな感じで、色んな人が色んなところでお祭りを楽しむようになった。
という背景があるだけで、お祭りの根本は「中の人達」のもの。
じゃあ「地元」もないナツドキというお祭りはどうやって産まれて育っていくのかなぁ〜
うーんどこかのお祭りに憑依合体してみんなの知らぬうちにナツドキにすり替えちゃうか、はたまたナツドキ一揆をおこすか、はたまたホームパーティのノリでこそこそやるか。
うーんうーん。
そうか!
ナツドキが誰かの「地元」になるようなお祭りにしていこう。
誰でも呑気に飲んで笑ってはしゃいで泣いて、そんな風にしながらお祭り作って楽しんで、やりたいことしてやりたいように楽しんで。
中の人外の人とか、お客さんだからとか演者だからとか関係なく、みんながやりたいように作って遊んで楽しんでいられるお祭りであろう。
そう思い、ちょうどすっきりしたところで我に帰り、下北沢音楽祭の会議の内容に再び耳を傾け始めたものの、複雑すぎて全く理解できなかった越野なのでした。
というわけで長々と話をしましたが、結果ナツドキはとてもあたたかいお祭りです。
上記のように「お祭り」を再定義していこうと思っています。
是非一緒に作り上げて楽しんでいきましょう!
当日お会いできることを楽しみにしております。
どろん!
越野和馬